笑う門には福来たる

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おじさんの四次元ポケット

太宰治と森鴎外のお墓がある三鷹の禅林寺。

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三鷹にある太宰治のお墓

三鷹市に禅林寺というお寺があり、そこには太宰治のお墓があります。

三鷹駅からは徒歩ですと15分くらいです。バスですともっと早いです。

僕は三鷹市の下連雀というところに住んでいるのですが、この禅林寺が徒歩10分ほどのところにあり、たまに散歩がてら、ふらふら~っと行くんです。

もう三鷹には10年ほど住んでいるのですが、初めて禅林寺を訪れたのは5年ほど前です。

太宰治のお墓が三鷹の禅林寺というお寺にあるらしい」という情報はなんとなく知っていました。どこで仕入れた情報なのかは定かではないのですが、おそらく本かテレビではないかと思います。

又吉直樹さんもよく訪れるようですし、最近ではけっこう知られているかもしれないですね。

禅林寺のお隣には「八幡大神社」という神社があるのですが、僕は嫁と二人で神社巡りをするというささやかな趣味を持っておりまして、自宅からも近いこの神社には、ちょいちょい散歩で足を運んでいたんです。僕の住んでいる地域の氏神様でもあり、毎年の初詣もいつも八幡大神社でした。

八幡大神社につきましては、僕が別で書いているこちらのブログでも紹介しています。

八幡大神社と禅林寺は、境内では繋がっていませんが、隣接しています。完全なお隣さんですね。

神仏習合が行われていた時代には、禅林寺が別当として八幡大神社を管理していたそうです。元々繋がりのあるお寺と神社だったんですね。

八幡大神社にはちょいちょい訪れてはいましたが、お隣の禅林寺にはずっと行ったことがなかったんです。

そんな5年ほど前のある日、嫁と二人で散歩がてら八幡大神社に行き、そのままふら~っとお隣の禅林寺にも寄ってみることに。そう言えば、そこに太宰治のお墓があるらしいぞ、くらいな気持ちで。

そして初めて訪れた太宰治のお墓

それはお寺の墓地の一角にありました。

特別なお墓というわけではなく、たくさんのお墓の中の一つです。

さらに驚いたのは、なんと太宰治のお墓のほぼ向かいに、森鴎外のお墓があったんです。

僕はそれを知らずに訪れましたので、びっくりです。

有名な文豪が、二人も同じお寺のお墓に入っていて、しかも向かい合う位置にいるとは。

後から知ったのですが、これは森鴎外を尊敬していた太宰治が生前それを望んでいたため、向かいに建てられることになったそうです。

僕は昔から本を読むのが好きでして、太宰治も森鴎外も若い頃にけっこう読みました。

20歳前後にけっこう読み漁ったかと思うのですが、それ以来一度も読んでいません。僕は今41歳ですので、もう20年くらい前ですね。ですので内容とかはほぼ覚えてないんですけどね…笑。

本の内容もろくに覚えていませんし、又吉さんみたいに太宰への愛が深いわけではなく、特別な想いというのも特にないわけですけれど…。

それでもやっぱり実際に二人のお墓の前に立ってみますと、ちょっと感慨深いものはあります。

太宰治森鴎外がここに眠っているんだな~と。

それからというもの、散歩がてらにはなりますが、たま~に禅林寺に立ち寄り、二人のお墓に手を合わせるようになりました。

 

禅林寺へのお墓参り

今年の夏、初めてカメラ片手に禅林寺を訪れてみました。

禅林寺の入口から太宰治と森鴎外までのお墓まで、そのときの様子をざっくりですがご紹介させて頂こうと思います。

 

三鷹駅から三鷹通りを南下し、八幡前交差点連雀通りを左折、ほんの少し歩くと禅林寺の入口です。斎場もあり駐車場も広いです。

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奥に進み、こちらが禅林寺の門。立派な門で、手前には大きな松もあります。

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門をくぐり境内へ。広いです。中央が庭園のようにもなっています。

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この中央にある銀杏がでかいです。

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境内の左手にあるのが本堂。

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本堂にお参りをします。

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境内の左奥に、太宰治と森鴎外のお墓への案内が出ています。お墓の場所も記されています。

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半地下のような通路を通って、お寺の建物の裏手に回る形です。

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通路を抜けますと、そこが墓地です。けっこう広いです。

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太宰治と森鴎外のお墓へは、墓地の入口を入って右に曲がり、水場の前を通過します。

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そして二本目を左折です。

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少し進んだ先、左側に太宰治のお墓です。刻まれた「太宰治」の文字は、井伏鱒二の筆によるものとのことです。隣りには津島家のお墓もありました。太宰治の本名は津島修治(つしましゅうじ)です。

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向かい側には森鴎外のお墓です。本名の「森林太郎墓」と刻まれていて、左の「森志げ子墓」は奥さんのお墓です。右も親族のどなたかのお墓だと思われます。

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太宰治、森鴎外、どちらのお墓にも手を合わせ、禅林寺を後にしました。

 

三鷹と太宰治

太宰治と森鴎外のお墓を紹介させて頂きましたが、なぜ彼らのお墓が三鷹にあるのか?

太宰治に関しては、「三鷹に住んでいた」ことを僕もなんとなく知っていましたので、そういった縁で三鷹の禅林寺にお墓があるかとは思います。

三鷹を散歩していますと、玉川上水の近辺を中心に、ちょいちょい太宰治に関する所縁の案内などもあります。

太宰治は、三鷹を流れる玉川上水で昭和23年(1948年)に、愛人とともに入水自殺をしています。

38歳でした。

こちら、現在の玉川上水です。ちょっとわかりづらいかもですけど。

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三鷹駅から井の頭公園まで、この玉川上水に沿って「風の散歩道」という遊歩道になっていまして、僕もここはよく散歩で使います。

歩いていてとても気持ちの良い散歩道です。

現在の玉川上水は小さな川でして、とても入水自殺なんてできなそうな深さなのですが、昔は流れも早くてけっこう深い川だったようです。

毎日新聞のサイトに、太宰治の遺体捜索の際の写真がありましたので、引用させて頂きます。

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(画像出典:mainichi.jp)

今から約70年ほど前は、玉川上水はこんな感じだったんですね。三鷹も今とは全然違う景色が広がっていたんでしょうね。

太宰治は青森の出身です。現在の青森県五所川原市というところです。

東京帝国大学(現在の東大)への進学で上京し、学生時代には井伏鱒二との親交も深かったようです。

結婚後に山梨県の甲府に移りますが、すぐに三鷹に転居しています。当時の住所で「東京府北多摩郡三鷹村下連雀」です。

その後は第二次大戦の空襲により疎開しますが、戦後は再び三鷹の自宅に戻り、生活していました。

三鷹は太宰治が38歳で命を絶つまで、家族とともに暮らした町だったんですね。

現在、太宰治が実際に暮らした家は残ってはいませんが、場所はこの辺りです。

僕もこの辺りはよく散歩する場所ですので、同じ道を太宰治も歩いていたのかな~なんて考えてしまいます。

太宰治が暮らした町、三鷹。生涯を終わらせたのも三鷹です。

そんな三鷹のお寺である禅林寺で、彼は今も眠っています。

森鴎外を尊敬していた太宰治は、生前この森鴎外が眠る墓地を訪れていて、このような場所で自分も眠りたいと、そう願っていたようです。

願いが叶ったんですね。

 

三鷹と森鴎外

一方、森鴎外の方ですが…。

こちらは、なぜ三鷹にお墓があるのかわかりませんでした。

森鴎外は現在の島根県の出身です。父とともに上京し、住んでいた場所は現在の墨田区の向島です。

元々はお墓も向島にある弘福寺というお寺にあったのですが、関東大震災で弘福寺が罹災したため、三鷹の禅林寺と、生地の島根県津和野町にある永明寺の二ヶ所に分骨され、改葬されたとのこと。

このとき、なぜ遺骨の半分が三鷹の禅林寺に移されたのか、それは不明です。もしかしたら親族がこの辺りに住んでいたのかもしれないですね。完全な推測ですが。

太宰治も小説の中で、なぜ三鷹にあるのかわからないが、と書いているみたいです。

森鴎外が亡くなったのは大正11年(1922年)。60歳でした。

森鴎外が亡くなってから25年ほど後に、太宰治が亡くなっているんですね。

森鴎外の本名は森林太郎です。彼は遺言で、森鴎外ではなく森林太郎として死にたいと望み、彼の墓石にはその遺言通り、「森林太郎墓」と刻まれています。

その文字以外は墓に彫るな、盛大な葬式はするな、なども遺言だったそうです。

遺言碑が禅林寺の中にあるようなのですが、今回僕は見逃しています…。残念。

次回訪れた際には、ちゃんとこの目で確かめ撮影し、この記事にも追記させて頂こうと思います。

どのような経緯で森鴎外のお墓が禅林寺にあるのかはわかりませんでしたが、森鴎外のお墓がなかったら、太宰治のお墓もここにはなかったかもしれませんね。

 

禅林寺へのアクセス

住所は東京都三鷹市下連雀4-18-20です。

最寄り駅はJRの三鷹駅で、南口を出て徒歩15分ほどです。

バスですと南口のバス乗り場から乗車し、5分ほどの「八幡前」バス停で下車し、徒歩2分です。

バスは三鷹通りを南下する路線でしたらどれでも行くことができますが、バス乗り場はこちらでご確認ください。2番、6番、7番、3番乗り場から行けます。

歩くと少し距離はありますが、歩くのが苦ではない人でしたら、じゅうぶん徒歩圏内かと思います。

僕はいつも歩いて行っています。

お墓参りは午前8時から日没まで可能です。

 

太宰治と森鴎外。向かい合う二人の文豪のお墓

不思議な魅力を感じてしまいます。

僕はこの二人のお墓にはたまに訪れるのに、二人の書いた本の内容をほとんど覚えていませんので…。

近々ブックオフで探して読み直してみようと思います。

 

 

 

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