石井光太の勧め
僕は石井光太さんの本が大好きです。石井さんが書いたものを全て読んでる、というわけではありませんが、そこそこ読んでいるかと思います。
本屋さんに行けば五十音順で「い」のコーナーはいつもチェックし、読んだことのない石井さんの本があれば、即購入というパターンで買うことが多いです。小さい本屋さんだとなかなか置いてなかったりするんですけどね。
今回取り上げさせて頂く「浮浪児1945―戦争が生んだ子供たち」も、本屋さんで偶然見つけまして、即買いしました。
このブログでは、以前も石井光太さんについて一度取り上げています。その時は「蛍の森」というハンセン病を扱った本について書かせて頂きました。
僕はハンセン病というものについて、その病名こそ聞いたことはあっても、どんなものなのか全く知らなかったので、石井光太さんの本を読んで衝撃を受けました。ハンセン病がどんな病気なのかということや、病気に対する激しい差別も。
「蛍の森」について書いた記事はこちらです。
石井光太さんの作品は、基本的にノンフィクションです。
そこには、僕が今まで見たことがない様々な世界が、とってもリアルに描かれているんです。
面白くて笑ってしまうものもあれば、胸が詰まって涙が溢れてきてしまうものも。
どの作品も本当に面白くて、僕はいつの間にか石井光太さんが大好きになっていました(ゲイ的な意味ではなく…笑)。
そんな中、最近購入し、読んだばかりの石井光太作品「浮浪児1945―戦争が生んだ子供たち」。
これがまた強烈なインパクトでして、内容も衝撃的でした。
書かずにはいられなくなりました。
石井光太「浮浪児1945-戦争が生んだ子供たち」
この作品は、「戦争孤児」について書かれたものです。
僕は戦争孤児について特別な知識は持ち合わせていません。正直これまで、特別に興味を抱いたことすらありませんでした。
「戦争が終わったとき、上野にはたくさんの浮浪児がいた」
それは、なんとなく聞いたことがあります。どのように耳にしたことなのかは覚えがありませんが、漠然と「戦後の上野は浮浪児がたくさんいた」というのは、僕の頭にも刷り込まれています。
そこから敢えて何かしら連想するとしたら、映画「火垂るの墓」で、お兄ちゃんが駅で亡くなったシーンでしょうか。駅の構内で亡くなってしまう切ないシーンです。その場所は神戸三宮駅の構内らしいのですが、僕の中ではそれが戦後の上野駅の光景として連想されてしまいます。おそらく似たような感じだったのでは?とは思うのですが。
つまり、「戦後」「浮浪児」「戦争孤児」などから僕が連想するのは、その程度のことしかない、と言いたいわけです。
それだけ戦争孤児については無知だと。
本でも映画でも、それがクローズアップされたものを見た覚えがありません。
本の帯には「歴史の闇に葬られた戦争孤児」という文言もありましたので、もしかしたら戦争孤児というもの自体、今まであまり大きく取り上げられることがなかったのかもしれません。
石井光太さんは、そんな「戦争孤児」について徹底的に調べ上げ、その真実をこの本に記しています。
ここには、僕が初めて知る「戦争孤児」がリアルに描かれていたんです。
本の紹介文を引用させて頂きます。
1945年の終戦直後、焦土と化した東京では、家も家族もなくした浮浪児が野に放り出されていた。その数、全国で3万以上。金もなければ食べ物もない。物乞い、窃盗、スリ……生きるためにあらゆることをした。時に野良犬を殺して食べ、握り飯一個と引き換えに体を売ってまで――。残された資料と当事者の証言から、元浮浪児の十字架を背負った者たちの人生を追う。戦後裏面史に切り込む問題作。
戦争孤児について知る
戦争孤児というものがどのようなものだったのか。
その過酷で残酷な真実を、僕はこの本で初めて知ることができました。
「戦争」というものを学ぶ上で、戦争孤児については「知っておくべきこと」なのではないかと、率直にそう感じました。
原爆や特攻隊について知るのと同じように。
ある日、空襲によって突然親を失った子供たちが、その後どのように生きたのかを。
まず僕は、この本の表紙の写真にやられました。
この少年たちは、ぱっと見は小学校の低学年くらいでしょうか。6歳とか7歳とか、それくらいに見えます。
そんな幼い子供が、こんなふうに普通に喫煙をしているだけで、かなりのインパクトがあります。
幼い子供が突然両親を失い、守ってくれる大人もいないまま野に放り出されたら…。
現代でははそのような状況は起こりにくいかと思います。もちろん虐待など別の問題などはありますが、少なくとも幼い子供が保護者がいない状態で、街に放り出されるという状況はほぼないのではないかと。
しかし、米軍機による空襲を受けた後の街では、そんな子供たちが溢れていたんです。
その数、全国で3万人以上とのこと。
幼い子供が突然放り出され、自分の力で生きていかなければいけないと言うのは、想像に絶するものがあります。過酷ではないわけがないんです。
もし自分がそのような状況に陥ったらと思うと…はっきり言って、生きていける自信はありません。
おそらく実際は、この場で想像しているよりも遥かにキツい現実が待っていたのではないかと思います。
靴磨きをする子供たち。
闇市の手伝いをする子供たち。
悪事に手を染める子供たち。
体を売る子供たち。
大人に利用される子供たち。
自ら死を選んだ子供たち。
戦後日本の混乱した時代を、子供たちはどんなふうに生き抜いていったのか。
ほんの一部分かもしれませんが、僕はこの本のおかげで、それを知ることができました。
この本がなければ間違いなく戦争孤児についてこれほど知ることはできませんでしたし、考えることもなかったです。
石井光太さんに感謝したいです。
本の最後の方に、孤児院で食事をする子供たちの写真が載っているのですが、僕はその写真を見た瞬間、涙が出てきてしまいました。
戦争について、また一つ知ることができました。
「浮浪児1945―戦争が生んだ子供たち」の勧め
この物語の中心は上野です。
空襲の後に行き場を失った人たちが上野駅に集まり、孤児となり浮浪児となった子供たちも、多くが上野駅の地下道や、その周辺で暮らしていたそうです。
僕は現在東京在住で、上野にも何度か行ったことがあります。
動物園に行ったこともあれば、アメ横で買い物をしたこともあります。
つい先日も上野の神社巡りに出掛けた際にも、アメ横や上野公園を歩きました。
こちらは現在のアメ横の写真です。
「アメ横が闇市だった」というのは以前から耳にしたことがあったのですが、それについて深く考えたことも、特にイメージを膨らませてみたこともありませんでした。
上野は僕にとって、単なる「東京の大きな街の一つ」でした。
しかし今回、「浮浪児1945―戦争が生んだ子供たち」を読んだことにより、上野に対して今までとは違った想いと言いますか、見方と言いますか、そのようなものが芽生えました。
先日上野を訪れた際にも、その景色が今までとは少し違って見えました。
行き場を失った人で溢れていたという地下道。
闇市だったというアメ横。
現在の上野公園になっている山の方には、当時はパンパン(売春婦)がたくさんいたそうですし、パンパンと組んで稼ぐ浮浪児も多かったそうです。
こちらの写真はアメ横から上野公園に入った場所です。
現在はのどかの公園ですが、当時はどんな景色だったんだろうって。
もちろん当時の様子を実際に見ることはできませんが、想像してみようと思います。
石井光太さんの「浮浪児1945―戦争が生んだ子供たち」。
僕はこの本に出会うことができて良かったです。出会わなかったら、戦争孤児について何一つ知らないままだったと思います。
これは我々日本人が知っておくべきことなのでは?学んでおくべきことなのでは?と、そう思ってしまう本でした。
ぜひとも皆さん、読んでみてください。